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石塚小五郎を偲ぶ
社長の寺子屋

生前発行されたメルマガ「社長の寺子屋」を公開します。(以下、原文掲載)

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件  名 : 古銭と切手 ドラゴン商会です
差 出 人 : ドラゴン商会
送信日時 : 2003/06/01 11:01
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     ◆◇◆ドラゴン商会 社長の寺子屋 Vol.2◆◇◆
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            ★〜 CONTENTS 〜★彡
          ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     【1】ご挨拶
     【2】社長の寺子屋「贋物が高価な世界―天保銭」
     【3】天保銭について・・・
     【4】お問い合わせ・配信停止はこちらです
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☆
   六月之 地副割而 照日爾毛 吾袖將乾哉 於君不相四手 (万葉集1995)


   水無月のつちさへ裂けて照る日にも我袖ひめや君に逢はずして
                                     ☆

 うっとうしい梅雨空には、まだほど遠い感がありますが、いかがお過ごしですか?
いつもお世話になっております。店長の辻村です。

 社長の寺子屋Vol.1にはいろいろなご意見、御感想をいただき、ありがとう
ございました。
 「わかりやすい内容」 「両親が使っていたかも知れない寛永銭に親近感がわき、
集めてみようかな」 などなど。
  物足りなかった方もいらっしゃったかもしれませんが、少しでも寛永銭に
新たな興味を持っていただいて、嬉しく思います。

 
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 ■  さて「社長の寺子屋Vol.2」は「贋物が高価な世界――天保銭」です  ■
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         *-*-*- 贋物が高価な世界――天保銭 -*-*-*

 天保6年(1835)から鋳造が始められた天保通宝は、小判一両に対して40枚、
すなわち百文通用として造られました。
 当時、一般庶民の1ヶ月の生活費を二千文とすれば、それまでと違いわずか
20枚で事足りましたので、「日月(太陽と月)のかわることなく天地と共に伝わらん」
と、激賞され、庶民にとっては便利な貨幣の誕生でした。

  
 その後幕府は、諸藩の藩札に変わるべく天保銭の鋳造を勧め、万延2年(1861)
藩札にかわるべく、この百文銭をもって引替する目的で、1日30万枚の鋳造能力で
これにあたりました。


 しかし、1年足らずで銅の欠乏をきたし、一時鋳造中止のやむなきに到りました。


 そして大量生産された天保銭は、金銀貨とのバランスを崩し、その結果、
一両に対し40枚であったものが、安政年間には60枚へと下落したのでした。

  
 一方、名目貨幣に利のあることに気づいた各藩は、藩内通用の目的という名目で
盛岡銅山・土佐官券・琉球通寳などの鋳造を幕府に願い出、許されると、
実際はわずかな鋳造にとどめ、裏で大量の贋造天保の鋳造を行ったものと思われます。
 盛岡銅山・土佐官券・筑前通寳は、長い間私も数枚しか見ることができず、
その数はわずかなものだと思います。

  
 しかし、琉球通寳と琉球半銖については、40年前頃、鹿児島・宮城県より数千枚
買入れた経験があり、薩摩藩は藩内通用の目的で、大量に鋳造したと思われます。
 しかし、おもしろい事に、両県より同時に買入れた天保通宝には、本座銭がなく、
大阪天保とわづかな薩摩天保のみであった事から、薩摩藩もまた、贋造天保の鋳造を
行っていたと考えられるのです。

 
 天保銭は、昔から諸先輩の研究で、砂目・銅質・書体により、盛岡・仙台・会津・
佐渡・大阪・薩摩・福岡などとわけられておりますが、最近では、銅質の違う他の
鋳地と思われるものも多くあり、これは昔の交通が陸路ではなく、北前船などによる
海路だったゆえに、贋物が贋物を生んで、金質(かねしつ)が変わっていったと
考えられます。

  
 さらに各藩には、一切これらの記録はなく、一文銭8枚であった天保銭は、
明治2年には8厘まで相場が下落し、明治24年12月31日をもって使用禁止を
布告した時点で、幕府鋳造量4億5千万枚に対し、政府の買い取った量は
5億4千万枚にもおよび、今なお大量の姿を見る事ができますのは、何をか
言わんやで、本物より贋物が高価な世界―それが天保銭です。


 しかし、貨幣が実量性を失って、名目貨幣が増えた時、その国の経済もまた、
名目に終わり、バブル崩壊へとつながるのです。
 そこに、贋物研究のおもしろさと大切さがあると言えるでしょう。



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 いかがでしたか?「贋物が高価な世界―天保銭」最後は、社長の皮肉かな??(笑)



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  □天保銭について・・・
 
 「日月のかわることなく天地と共に伝わらん」といわれた天保銭も、今では
揶揄をこめた時に使われたりして、かわいそうな気もします。

  
 しかし、天保銭は種類が多く、この道一筋のマニアの方は一生涯かけて研究
されていて、玉塚証券の社長のように 「天保銭はわが命なり」 と刻んだ 
『玉塚天保』なるものを造られた方もいらっしゃいました。

  
 それにしても、天保年間、庶民の1ヶ月の生活費が天保銭20枚というのは
興味深いですね。
 その当時、 「十両盗んだら首が飛ぶ」 と言われていましたから、盗人は
十両盗んだら必ず二分置いていって、「これなら首もはねられないだろう。」 
という、落語のような話もあります。
 一朱でもいいのに、二分金というところが、この当時の盗人の気質でしょうか。

  
 そうそう、寛永銭の百文のさし賃(わらに100枚ずつ通す)も2文でしたネ。
(ですから、実際は98枚という事になります。)



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 次回の「社長の寺子屋 Vol.3 は、Vol.1の六文銭についてのご質問が
かなりございましたので、 「真田幸村と六文銭」 という題材で、歴史的観点から
六文銭を見ていきたいと思います。
 どうぞ、よろしくお願い致します。



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          最後までお読み頂き、ありがとうございます
       

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 お  問  い  合  わ  せ  
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